【金スマ】大黒摩季 ZARD坂井泉水との交流・炎上など苦労の末に辿り着いた境地とは?

山羊座

シンガーソングライターとして活躍する大黒摩季さん中居正広のキンスマスペシャルに出演します。

そこで大黒摩季さんの闘病生活や2007年5月27日に急逝したZARDの坂井泉水さんとの交流エピソードなどが話題になっています。

そこで

  • 大黒摩季さんはZARDの坂井泉水さんとの交流エピソードは?
  • 大黒摩季さんのテレビでの発言が炎上騒ぎに!
  • 大黒摩季さんは子宮疾患を併発し他の臓器を圧迫するまでに!
  • 子宮全摘出の末、離婚した彼女に待ち受けていたものとは?

などなど壮絶な人生を歩んできた大黒摩季さんが苦労の果てに辿り着いた境地とは?を解説しています。

是非、最後までご覧くださいね。

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大黒摩季 プロフィール

https://maki-ohguro.com/

本名:大黒摩紀

生年月日:1969年12月31日(山羊座)

出身地:北海道札幌市南区

血液型:A型

大黒摩季さんは1992年に「STOP MOTION」でデビュー。2ndシングル「DA・KA・RA」がミリオン・ヒットを記録し、以降「チョット」「あなただけ見つめてる」「夏が来る」「ら・ら・ら」「熱くなれ」などヒット曲を連発した90年代を代表するシンガーソングライターなのです。

大黒摩季 ZARD坂井泉水とのエピソード

https://www.instagram.com/

二人の出会いは坂井泉水さんがZARD名義で1991年に発売したデビューシングル『Good-bye My Loneliness』がきっかけ。

そのバックコーラスとして参加したのが大黒摩季さんだったんです。

大黒摩季さんが落ち込んでいる時には「一緒にいると元気が出る」と言ってくれたり、2歳年上の坂井泉水さんを姉のように慕い、すぐに「摩季ちゃん」「泉水ちゃん」と呼び合うように。

1990年代はZARDの絶頂期。ヒット曲を連発し、厳しい管理下の中、プライベートの時間をほとんど持てなかった坂井泉水さんは大黒摩季さんに「脱走の手伝い」を頼んでいたそうです。

ある時は「髪ゴム買いに行かない?」と誘われ「髪ゴムなんてマネジャーに買ってもらえばいい。買ってきますよ」と伝えると、「一緒に選びたいの」と懇願。「一緒に選ぶほどのものじゃない」と笑いながら、2人の思い出を振り返った。
 また別の時は、真夜中に買い物に一緒に行きたいと彼女に言われ連れて行くと「夜中にオマエは坂井をなんで連れ歩いてるんだ」と大黒だけが怒られたという。「とにかく出たい、抜け出したい」と彼女の心境を明かし、「またこれがかわいい」と在りし日を懐かしんだ。

https://www.chunichi.co.jp/

隙を見つけては、坂井泉水さんが「スタジオ抜け出そうよ」と大黒摩季さんを誘い、スタッフの目を盗んで2人で食事や買い物に出かけたんだそうです。

とっても仲の良い姉妹のような二人の関係がうかがえますよね。

「互いに平成を代表する歌姫になっても姉妹のような関係は変わりませんでした。実は人見知りの大黒さんを、グイグイ引っ張っていったのが坂井さん。2人で多忙の合間を縫って食事をしたりと、プライベートの交流は続きました」(音楽関係者)

https://www.news-postseven.com/

坂井泉水さんのイメージが清楚でおとなしそうに見えるので、グイグイ引っ張っていってたのが坂井泉水さんの方だったなんて意外~!と思いました。

そして偶然かもしれませんが大黒摩季さんも坂井泉水さんも子宮疾患の病気を抱えていたんです。

坂井泉水さんは2006年に子宮頸がんを患い、摘出手術を受けて退院したものの、2007年には肺への転移が見つかってしまった。

そんな辛い闘病生活の合間でも、こっそり大黒摩季さんに会いに来たこともあったそうです。2人で一緒にいる時の何気ない会話が坂井さんにとって癒しだったんでしょうね。

子宮疾患は身体の冷えや食生活、ライフスタイルなども関係あるとは思いますが、子宮は負のエネルギーが溜まりやすいところだと言われています。

売れっ子でプライベートも持てないような厳しい管理下の中、忙しく、ストレスを吐き出せる時間も、ホッとする時間もないまま時代を駆け抜けていった大黒摩季さんと坂井泉水さん。

二人とも人には言えない悩みや怒りが知らず知らずのうちに子宮に溜まってしまったのかもしれませんね。

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大黒摩季 テレビでの発言が炎上騒ぎに!

事の発端は2007年5月27日(ZARD坂井泉水さんの命日)に放送されたフジテレビ系バラエティー番組「ウチくる!?」

司会者の中山秀征さんの「レコーディングの時『コイツ』下手クソだなっていうアイドルもいっぱいいたでしょ?」という質問に大黒摩季さんがこう答えたそうです。

「はい、ぶっちゃけ。何でアンタの気持ち悪い音程に合わせて私が歌わねばならないのだ!カワイイってことはこういう(バックコーラスではなく前で歌える)ことか!やっぱ顔か~、体か~!!みたいな。何で!!(私は前で歌えないの)って感じじゃないですか!」

https://www.j-cast.com/

この放送を受け、大黒摩季さんのブログ(2007年4月15日)に対し、400件以上のコメントが殺到する事態に。

大黒摩季さんのテレビでの発言は誰か特定できる人物を挙げたものではないのですが、放送日が坂井泉水さんの命日だったことからZARDのファンは坂井泉水さんのことを言っていると勘違いしてしまったようなんです。

大黒摩季さんも姉のように慕っていた坂井泉水さんが急逝したということでかなりショックだったと思うのですが、悲しみの上にさらに炎上という苦労を背負い込む形になってしまって、とても辛かったんじゃないかと思います。

そして大黒摩季さんの発言「何でアンタの気持ち悪い音程に合わせて私が歌わねばならないのだ!」というのはネガティブなエネルギーですよね。

「ネガティブなエネルギー」を発してしまうとやっぱり「ネガティブなエネルギー」が返って来てしまうものなんです。

ZARDファンの、なぜこんなに早く坂井泉水さんが亡くなってしまったんだ!というやるせない怒りと大黒摩季さんの「何でアンタの気持ち悪い音程に合わせて私が歌わねばならないのだ!」という怒りのエネルギーが引き合ってしまった、だから炎上してしまったんじゃないかと感じました。

これは、ネガティブな怒りのエネルギーを出すのがダメということではありません。我慢していても心の中に怒りを溜めていたら病気として結局は自分を苦しめることになりますから。

怒りを我慢するということではなく、自分一人でいる時に安心できる場所で、そのやるせない気持ちを紙に書きなぐってビリビリに破るとか、大声を出せるところで思いっきり自分の気持ちを叫ぶとか、自分の気持ちをちゃんと感じ切って充分発散するということが、とても大事なんですよね。

大黒摩季さんは坂井泉水さんの訃報を知って自身のブログで追悼しています。

「このブログ(2007年5月28日)を書きあげた後、ZARDの坂井泉水さんの訃報が飛び込んで来ました。私は彼女を心から尊敬し、同じ時代を共に過ごした戦友でもあり、この突然の悲報に胸が詰まる思いでいっぱいです。病気の痛み苦しみから解放され、どうか安らかにお眠り下さいますよう心からのご冥福をお祈りしています」

https://www.j-cast.com/

同じ時代にミリオンヒットを飛ばし、時代を築いた歌姫として、同じ子宮疾患を患っていた戦友のような姉妹のような、きっと二人にしかわからない気持ちを共有できる特別な間柄だったんでしょうね。

こう思うと、テレビでの発言が結果的に炎上してしまい、二人の美しい友情とあたたかい思い出に傷がついてしまったことがやるせないですよね。

坂井泉水さんの命日の5月27日は奇しくも大黒摩季さんのデビューの日。

この2007年以来、大黒摩季さんは自身のデビュー日を祝えなくなってしまったのです。

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大黒摩季 苦労続きの人生

さて、そんな炎上騒ぎのあった大黒摩季さんですが、それだけではなく様々な苦労がありました。

大黒摩季 子宮疾患で声が出にくくなった過去

22歳でデビューした大黒摩季さんですが、生理不順をはじめとする身体の異変は上京から数年後から感じていたそうです。

大黒摩季さんは金スマで生理不順や生理痛があるのは、いつものことと軽くとらえないで、早めにお医者さんに行って欲しいと伝えています。

早めの対処、大事ですよね。

そしてデビュー5年ほど経ったところ声が出にくくなり、病気が発覚。

大黒摩季さんは子宮腺筋症だけでなく、左卵巣嚢腫、子宮内膜症、子宮筋腫も併発し内臓を圧迫。

治療のため、女性ホルモンを下げる強力な薬を使ったところ、声のキーが下がってしまい、それが初ライブの半年前で非常に困ったそうです。

 その際に声を取るか、自分の身体を取るかで悩みましたが、5万人近くの観客やスタッフに対する責任感から治療を中断し初ライブを実行したそうです。
医師から、さらにひどくなった場合は子どもが産めなくなると言われていたのに、、、。

 ツアー中に病状が悪化、ステージ中に激痛を感じたものの、「鎮痛剤とか使うと、(頭が)ぼやっとしてくるじゃないですか。ぼやっとしてる暇のない曲ばかりだから、速くて強くて。だからしようがないと思って。ぼやっとするぐらいだったら痛みこらえる方がいいかな」と我慢。「強い声を出すじゃないですか、おなかぎゅっと引き締めると、うっ、というばっかりでしたね。地獄でしたね。あの頃」と振り返った。

https://www.sponichi.co.jp/

 大黒摩季さんは痛みに耐えながら熱唱するも、声が出にくいため「大黒摩季はもう歌えない」という心無い言葉もたくさん浴びてしまった。

ハスキーな声に関しても「もともとハスキーなのに、メディアに出てなかったから、これでしゃべると酒やけとかね」と話し、「それとか『もう終わった』とかいっぱい書かれて、しくしく泣いてましたけどね。何にも知らないくせにー!って言って。でも、言い訳しても仕方ないから」

https://www.sponichi.co.jp/

大黒摩季さんが、周囲の期待に応えるために我慢に我慢を重ねてきたことがうかがえますね。

激痛に耐えながらあのパワフルな熱唱をされていたのかと思うと本当に頭が下がる思いです。

大黒摩季 子宮疾患を抱えながら不妊治療に挑む

大黒摩季さんは2003年11月に1歳年下の一般男性と結婚。

2010年に音楽活動を休止し、子宮疾患と不妊の治療を行ってきたのですが、2015年に子宮を全摘出。その後はアメリカの代理母制度も試みたのですが、2017年9月頃に送り出した最後の卵子でも妊娠に至らなかったそうです。

大黒摩季さんは山羊座。山羊座は責任感が強く、形にこだわるので結婚したら子供がいなきゃダメと強迫観念のように思ってしまったのかなと感じます。

そして子供の出来ない自分を責めてしまったんでしょうね。

のちに大黒摩季さんは、旦那さんが友達や親戚の子どもをあやしている姿を見られなかったと語っています。

そして、ある意味、子供が出来る時というのは心がホッと緩んでいる時に出来るのではないでしょうか。

願いというものは願って風船のように軽く宇宙に飛ばすという軽い感覚だと叶いやすいと言われています。

「この願いをどうしても叶えたい!叶わない私は不幸」という願いに執着していると、すごく重い感じがしませんか?

執着している時は叶わなくて、散々手を尽くしてきたけど何やってもダメだから「もう降参」となって「叶っても叶わなくても、もうどうでもいいや」となった時に叶ったという話、よく聞きますよね。

それにしても大黒摩季さんの人生、なぜこんなに苦労が重なってしまったのでしょうか?

「頑張って」「大丈夫だよ」
誰かにそう言われるたびに、「何がわかる? あなたは全部持っているくせに」と心の中で叫んだ。自分が嫌になって、どんどん「血が汚れていく気がした」

https://news.yahoo.co.jp/

この大黒摩季さんの言葉の通り、彼女の心の在り方が病気を創ってしまったことがわかりますよね。

自分だけが我慢すればいいんだ、自分が我慢すれば丸く収まると顔で笑って心では泣いていたんだと感じます。

大黒摩季さんは周囲の期待に応えて「いい人」をやり過ぎた。だから自分の心が死んだように生きてしまっていた。

時代を築いた歌姫というステイタスを手に入れたものの、たくさんの苦労を背負ってきて、それでも笑顔で人々の前で歌い続けるその気丈さは素晴らしいのですが、どうかこれ以上頑張りすぎないでくださいと声を掛けずにはいられないのです。

大黒摩季 夫からの報告

大黒摩季さんの話に戻りますが、2018年の始めに離婚に合意。

大黒摩季さんが離婚届を預かり、離婚届けは出していなかったものの、夫婦は、すでに別々の人生を歩み始めていた。

そして多忙な全国ツアーの影響で大黒摩季さんが離婚届を出しそびれている間に、夫から新しいパートナーと出会い、赤ちゃんを授かったと報告されるのです。

「私が守りたかったのは、ささやかな彼(元夫)らの生活。私は選んだ道だけど、生まれてきたおチビは、大黒摩季おばちゃんなんて知らない。その人のあおりで10年後に記事を見て、それこそ不倫だなんだっていうのを見たら、その傷を誰が終えるんですかって思うから私が引き受ける。私がハンコを押して、お互いにかわしたその日が離婚の日だから、私は不倫じゃないと思っている。やわらかな恋愛をして、普通に産まれた子だから、そういう子を責めないで頂きたいので今日出てきました。一般人ゆえ、これにてそっとしておいてあげてください」と元夫の家族への配慮を呼びかけた。

https://hochi.news/

元夫の新しい家庭に子どもが誕生したことを「本当にうれしい」と柔らかい表情で語った大黒摩季さん。

子宮疾患を抱え不妊治療に挑み、さんざん手を尽くして頑張り続けたけど上手くいかなかった。

大黒摩季さんは、さんざん頑張ったからもういいと、執着を手放せたのではないでしょうか。

子宮疾患・不妊治療・子宮全摘出・離婚・炎上騒ぎなど様々な苦労を経験して、元夫に子供が出来たことを素直に喜べる大黒摩季さん、やっと嫌いだと思っていた自分を許せるようになったのかなと思いました。

大黒摩季 苦労続きの人生を経験し辿り着いた境地とは?

大黒摩季さんは2022年でデビュー30周年を迎えました。

ライブにTVバラエティ番組出演にと精力的に活動している大黒摩季さんは「私は死にぞこないのゾンビ。死んだ気で生きれば、すべてがありがたい」と語り、今が一番楽しいんだそうです。

「嫁家業も終わったし、ヒットメーカーとしての責任もある程度果たしたと思う。ツアーでお客さまに感謝の気持ちを伝えたら、生まれて初めて、自分を生きてみようと思う。子孫は残せないから、私の音楽の技術=“遺伝子”を若い世代に全部あげたい。歌手っていう手のかかる仕事を仕上げたら、若手の育成。次のステージに行きたいですね」

https://news.yahoo.co.jp/

「ヒットメーカーとしての責任」というところが、いかにも山羊座らしい責任感の強さが表れているなと思います。

「死んだ気で生きれば、すべてがありがたい」この境地になると天が味方して運が良くなると思うんです。

大黒摩季さん、苦労の多かった壮絶な人生でしたが、これからは、自分の人生を取り戻し、自分らしく自然体で生きていくことが出来るようになって本当に良かったです。

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大黒摩季 まとめ

大黒摩季さんは

  • ZARD坂井泉水さんと姉妹のように仲が良かった
  • テレビでの発言によりブログが炎上騒ぎになってしまった
  • 5月27日はデビュー日なのに姉のように慕っていた坂井泉水さんの命日でもあるため祝えなくなった
  • 子宮疾患を併発し、内臓を圧迫するほどだったがライブのため、治療を中断し激痛の中、熱唱していた
  • 不妊治療の甲斐なく子宮全摘出。夫とは円満離婚
  • 様々な苦労を経験して、「死んだ気で生きれば、すべてがありがたい」と語り、今が一番楽しいと感じている
  • 歌手活動の集大成の後は若手の育成をしたいと希望に燃えている

大黒摩季さん、これからはストレスをため込まず、自分らしく生きていってくださいね。
頑張り過ぎは良くないですからね~。

次世代の若手の育成と希望が広がっている大黒摩季さんの今後も楽しみですね。

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